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お中華ネタ限定ブログ、作りました。岩茶で「お中華」。もちろん趙雲ネタも歓迎します。
週刊「ビジュアル三国志」刊行・・・50冊で3万円近くの出費・・・。マンガの趙雲がちょっと気に入りませんでしたがついに「33号」で表紙イラストに。りりしくて、めっちゃ、好漢!。
密かにファンである「黄磊」くん。やたら話題になるテレビドラマばかりに主演しているのだけど、最新作は「呂布と貂禪」(字が怪しいぞ)。ひええええ。あのちょっと頼りなげな目をした小磊子くんが呂布?!ミスマッチ。ちょうどとらわれの身になっているシーンの写 真を発見。いや〜ん。でもああいう呂布だったら好きになってしまうわ。複雑。
2001年8月25日、成都郊外の大邑にある、子龍祠とお墓跡に行ってきました。ここに報告をします!
そんでもって成都では再び武侯祠へ。今回は堪能してきました。
2001年12月、江南地方のとある小さな水郷で趙雲の麺人形(スーパー趙雲)を購入。旅行記はこちら
幻冬舎文庫・加野厚志著「趙雲子竜」発売中!(掲示板の常山の子ねずみさんより教えていただきました)
「三国志の大地」(竹内書店新社)発売中!口絵にご注目!その大邑にある子龍祠なのだ。
ついに中国古典小説の第一人者、宮城谷昌光氏が「文芸春秋」で「三国志」の連載を開始!注目です。
みなさんのリクエストもあって、掲示板(対話室)を設置しました。これからはこちらで趙雲について語り合いましょう!みんなの交流の場になればと思います。
趙雲ファンのみなさまにプレゼント(っていってもこのバックの切り絵の拡大バージョン)(158K)。
G2さんから中国のお菓子?についているおまけカードの趙雲バージョンを送っていただきました。別 室で。
インインカフェの内田様より趙雲のお墓跡(10年前)の写真を送っていただきました。別 室で。
さて、実際の趙雲とはどんな顔をしていたのでしょうか。ミーハーファンとしては気になります。背景の切り絵や当陽の銅像が自分ではイメージに近い気がするのですが。
「三国志・蜀書」(正史)にある『趙雲別伝』によると、
「趙雲は身長八尺あり、姿や顔つきがきわめてりっぱだった」。
と、だけ記述があります。これではあまりにも抽象的というわけで後にいろいろな人が彼の容姿を想像して描写 したのでしょう。ですから、あくまでのそれぞれの人のイメージでしかないのです。
羅貫中の「三国志演義」では、第7回で趙雲はこう描写されています。(岩波文庫版より)
「若武者は身の丈八尺あり、眉ふとく眼大きく、面ひろくおとがい重なり、威風凛々・・・(略)」
と、いうとなんとなく骨格のがっちりした、いかにも武将らしい顔立ちだったのでは、と推察されます。
さて、日本のスタンダードな三国志としておなじみの吉川英治著「三国志」。趙雲が初めて登場するのは、群星の巻の「白馬将軍」です。
「眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった」。
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作品名 |
YanTianの寸評 |
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人形劇三国志 |
なんで好きか、っていうと「動くから」。思慮深い表情がいいのよねえ。趙雲との出会いはこれでした。 |
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正史(蜀書) |
あくまでもひかえめ。だけど「趙雲別伝」のフォローがいい。 |
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反三国志 |
蜀ファンならやっぱこれでしょう。だけど、蜀にとっては悲劇的な結末だったからこそ三国志っておもしろいのかも。 |
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中央電視台ドラマ「三国志」 |
なかなかりりしい趙雲。だけどちょっと影が薄い。いきなりじいさんになってしまう。でも本場物+本格的セットがたまらない。 |
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北方謙三 |
ううん、ハードボイルドなのだわ。みんなドラマチックなのだわ。 |
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羅漢中「三国演義」(岩波版) |
趙雲だけではなくみんなが超人的。でもやっぱりおもしろい。 |
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吉川英治 |
ごめんなさい。あんまり趙雲の印象がないの。本は持っているけど。 |
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ゲーム三國志 |
子供まで登場させてくれているところが好きだった。でも昔のしかしらない。私にはああいうゲームはむいてましぇん。 |
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安能務「三国演義」 |
作品としてはあまり好きではないけど、趙雲は無類の槍の名手、しかも若くて元気なのがいい。 |
| 加野厚志「趙雲子竜」 | 趙雲が密かな恋慕から超人的な活躍をして阿斗と甘夫人をを救った、という解釈がおもしろい。趙雲の人物設定は確かに共感できました。趙雲が存命中は日の当たらない立場にいたことも納得できるような。 |
なお、子龍の小部屋でみなさんの意見を載せています。こちらもご覧下さい。
行ってきました、趙雲が眠る大邑へ。趙雲色はあるのですが、ぜんぜん商売っ気がないので、子龍祠のある公園は5元、大邑そのものも成都からバスで10元前後で行けてしまう。下手すりゃ中国語会話も苦労する田舎町です。でもでもたとえじいさんでも趙雲は趙雲。長年の希望がかないました。謝謝、小佳小姐&のざわっち
(旅行記はこちらへ)
地図はこちらにあります (提供 ROVER@ 三国志歴史紀行さん)
| 考察・なぜ趙雲は大邑にまつられているのか?(「神游三国・蜀漢遺跡導游」より) 明清時代のある地方史の志書の中に記載がある。志書にいう「趙雲は晩年、羌族がしばしば山中から平原の民衆を襲撃したので、これを守るために命じられて大邑の静恵山を領地とした。趙雲は民心を大事にし、軍を指揮し、戦いに勝った。羌族、漢族の民衆はともに彼に心服した。趙雲の死後、当地の人々はみな深くその恩恵を感じ、朝廷に対して趙雲を当地に葬るよう、強く要求した。諸葛亮は民意に従い、これを認めたため趙雲は大邑に葬られることになった。」 注)yantianによる訳なので適当です! |
趙雲の人柄がわかる話でしょう?よいわ〜。「強烈要求」した結果、大邑にあるのです。だからもっと大邑の人たちは趙雲を大切にしてあげて!!
また機会があれば訪ねていきたいと思っています。 というのも、実は同じ文章の中に、こんな気になる記述を見つけたから(この本、後にいった武侯祠で買ったのだ。もっと早く買っていれば・・・)こんな建物は見ていないので、もしあるとしたら私は行っていないことになるわけ(とほほ・・)
| 墓の前には木造の四合院があり、その中には康煕年間に作られた墓碑が建っている。そこには「漢順平侯趙雲墓」という7つの大きな文字が刻まれている。(略) 現在、趙雲の墓は地方の特色ある六角亭、「山閣」、「荷花池」、「○荷亭」、「小渝州」、正殿および左右殿、など、「園林建築」である。 廟へお参りするために次第に多くの観光客が内外から訪れるようになっている。 注)yantianによる訳なので適当です! |
(この旅行全体の報告はこちらからお越し下さい。色がかわっているところをクリックすると写 真が見られます。本文に戻るにはブラウザの「戻る」ボタンをクリックしてください)
96年5月2日、三峡下りの船を宜昌で下り、バスに揺られること約2時間。十里長坂の門をくぐり、私はついに念願の当陽、すなわち趙雲の街に着いた。私にとってはここが今回の旅のメイン。しかし必死になっていたのは私と山本さんぐらいなもので、ほかの人はどうでもいい所だったみたい。はっきりいって観光地じゃないものね。とくに団体でこんなところにくるなんて、まず皆無。だからガイドも趙雲像のある公園を知らなかったし、観光地につきものの物売りもいなかった。よってご当地のわりには趙雲グッズも見つからなかったのでした。
ロータリーに立つ趙雲像。これが当陽のシンボル。
ロータリーに面したビルにはこんな壁画もあります。
ロータリーの近くには長坂坡公園があり、ここも阿斗を抱き、敵と戦う趙雲の騎馬像があります。といってもこの公園は遊園地を併設していて、「子龍閣」もなんだかありがたみのない場所にある。だけど私たちみたいな物好きをあてこんでか、ただいま改装中。何年か後には長坂の戦いテーマパークになっているに違いない。ああ、この町に住みたい。
追記・ここは整備され、後ろの趙雲の像もやたらハデハデになっているそうです。タメイキ・・誰か当地へ行かれ写 真を撮られていたらぜひ送って下さい。
新たなる野望。趙雲の出身地は現在の河北省正定。ぬあんと、G2さんからの情報でここにすんばらしい趙雲廟があることが判明。行きた〜い!
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