最初の三游会の旅となった四川ツアー(1992年8月)

 

Index

北京から、成都へ
成都到着
峨眉山へ
天下の名山・峨眉山
成都の不思議体験
あこがれの武侯伺
北京の不思議も負けていない
 

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北京から、成都へ

 ゴムが焼けたような臭い。それが「中国の臭い」だと思う。入国手続きを終えて、北京の空港から外へ出たとき、4年ぶりにその臭いを嗅いだ。再び中国に来たんだと実感する。迎えのバスに乗り込み、市街へと向かう。実は前日、北京郊外で万里の長城を観光中のヘリコプターが墜落し、日本人観光客が何人か亡くなった。それで成田に取材が来ていて、なぜかインタビューされるはめに。要するに怖くないのか聞いてきた。だけど行くしかないでしょ。という感じだ。

 北京をガイドする王さんが日本語でいう。「私の知り合いのガイドも亡くなりました。中国の国内線は危険です。私たち、ガイドはいくら命があっても足りません。だから改善するように政府に要求しているのですが、全然良くなりません」。そのうちにこうした事故が起こってしまったのだ、と嘆く。いきなり「危険」と太鼓判(?)を押された国内線に乗らなければならないのか。やれやれ。

 「前門飯店」で土屋先生と合流。いったん荷を解いた後、外に出て前門近くを歩く。個人経営だという小綺麗な店の前に出されたテービルに座り、「旅行の無事を祈って」乾杯。目の前の自転車の洪水は相変らずだが、冷たい生ビールは以前に来たときはなかった。「お客さんがいるかぎり、何時まででも営業します」と愛想よく店員の女性が笑う。この笑顔も4年前はほとんど見られなかった。

 今回の旅のメインは四川省にある峨眉山と成都。私が通う中国語教室の仲間と先生の7人でツアーを組んのだが、たまたま誰も四川には行ったことがなかったことから、四川に行くことが決まったのだ。「三国迷(三国志ファン)」である私と山本さんは成都を希望し峨眉山は土屋先生の希望もあって決まった。

 一般のパックツアーでは成都は訪れても峨眉山に行くというのはまずない。手配を依頼した旅行会社も峨眉山は初めて、ということだった。ガイドブックにも記述が少なく、写真も載っていない。結局、事前に調べた限りでは峨眉山がどんな山なのかよくわからなかった。「風光明媚な山、仙人の修業をしたという山」だけが私の知りえた情報だった。しかし中国人に「峨眉山に行く」と言えば誰でも理解でき、羨ましがられた。中国では有名な山らしい。

 翌日、成都へ飛行機で向かう。すごかったのは、機内で配られた丸ごと1個の桃。いきなりどうやって食べるのだ、ととまどっていると隣に座った中国人のおじさんが桃をかじり、あとで皮をペッペ、と吐き出している。なるほど。ワイルドな食べ方だけど、真似してみた。これが四川の特産とかでとても美味。ところで隣のおじさんに限らず、他の人も桃の皮を床に捨てているのが少々気になった。


成都到着

 「こんにちは。謝です」。成都の空港に降り立った私たちを迎えてくれたのはガイドの謝さん。薄い半袖のシャツに短パン、サンダルという中国人男性の典型的な夏のファッションだ。

 四川省の省都である成都は全く普通の近代都市だった。「三国志」を愛読している私にとって「天下の要蓋」に囲まれていたという記述から成都険しい山々に囲まれた都市という想像をしていた。しかし、成都からは160キロ離れているという峨眉山はもちろん、山は全く見えない。「四川盆地」とはいっても日本の盆地とはスケールが違うことを思い知る。

 遅い昼食を「錦江飯店」でとる。最近、中国でもヨーロッパ風にホテルを星でランクづけするようになったらしい。このホテルは誇らしげに看板に4つ星を並べていた。確かに大理石の豪華なロビー、チャイナドレスを着た美しい女性服務員など高級さはただよう。だだっぴろいダイニングルームに通され、食事をした。何人かの女性がにこりともせず料理を運び、幾皿も幾皿も料理を私たちの目の前に重ねられていく。そのうち湯(スープ)を口にした土屋先生が言った。「この味絶対変だ!」。みんなも飲んでみて同意した。チンゲン菜のような青菜が浮いているのだが、それが妙に生々しい味がするのだ。それにスープの味もまったくない。服務員の女性に謝さんから聞いてもらった。ところが、これはこの味でいいのだという。納得できない土屋先生は服務員の女性にその湯を飲ませたが答えはやはり同じ。それどころか、彼女たちの態度はいっそう事務的になった。昼食の時間をかなり過ぎていたため一刻も早く私たちに食事を終わってほしいようだ。さっさと食べろ、といわんばかりの彼女たちの無言の圧力ですっかり食欲をなくしてしまった。これが四つ星ホテルか?


峨眉山へ

 成都からマイクロバスで一路、峨眉山に向かう。車から私は豊かな大地を見た。右も左も一面田園が広がる。しかし日本の田園風景とは違う。「蜀」が三国の一つとして他国と対抗できたのはこの豊かな実りのおかげなのだと、はじめてそれが実感できた。そして路肩に干された唐辛子。天秤をかついだ少女、水牛・・。峨眉山に着くまでの3時間余り、目の前で次々と繰り広げられる光景に飽きることがなかった。途中、小さな土産物屋でトイレ休憩。例の仕切りなしトイレだが、免疫ができている?私たちはひるまない。「壁の白いタイルなんか、かなりきれいな部類に入るトイレだよね」。などと感心すらしてしまう。

「ねえ、日本での習慣からなんとなく、壁に向かってしゃがんでいるけど、もしからしたら、中国ではおしりを壁に向けてしゃがむんじゃないの」。トイレからでたあと、園さんが言った。

 言われてみればそうだ。どちらかというとそちらの方が自然な作りになっているし、他人におしりを見られることもない。だが、私たちの他に利用者がなかったので、この問題は解決しないままだった。

 2時間ほど走ると、遠くにひときわ目立つ山が見えてきた。峨眉山だ。私は男性的な険しい山を想像していたのが、むしろ女性的でなだらかな稜線。TVアニメの「ムーミン」に出てくる“おさびし山”のような形だった。またもや私の想像とは違っていた。   

 いよいよ麓の町に近づいたとき、「天下名山」と書かれた石作りの門があった。郭抹若の筆だった。何というドラマチックな演出だろう。「いよいよ峨眉山だな」という気分が盛り上がってくる。

 かつて蒋介石の別荘だったという「紅珠山賓館」は中国では珍しい別荘風ホテル。山の木々に囲まれた広大な敷地の中に、建物が何棟か分散している。私達の部屋だと指定されたその建物は驚いたことにまだ建築中だった。玄関を入ると内装が未完成。階段の手摺りもコンクリートむきだしのまま。部屋はいったいどうなっているのかと不安な気持ちにさせたが、部屋の中は内装が済まされ、清潔だ。なにより大きな窓からは山の風景が見え、眺めは最高だった。中国に来てこのようなリゾート気分になれるとは意外だった。どうやら内装が済んだ部屋だけで部分営業しているようなのだが、日本ではまず考えられない。しかし、そのおおらかさが中国の魅力のひとつではないか。

 夜は別棟のレストランに行って食べた。私達が通された小部屋には大きな富士山の写真が飾られている。この「天下名山」に来てまさか富士山の写真を見ながら食事なんて。

 食事は本場の四川料理。まだ少年の面影を残す服務員が料理を運ぶ度に恥ずかしそうにその料理の説明をしてくれる。ここで初めて本場の「麻婆豆腐」を食べた。とにかく辛い。唐辛子の辛さに加え、山椒の刺激で舌が麻痺してしまう。汗と涙と鼻水を出しながら食べる私達をみて、運転手の孫さんは笑って言った。「これは麻婆豆腐のなかでも辛くないほうだよ」。謝さんによると、「唐辛子の辛い」は「辣」だが、「山椒の辛い」は「麻」というそうだ。規則があるのか、これまでの食事では私たちの席はガイドと運転手とは別々にされた。このホテルはこじんまりしているので、同じテーブルでとった。だからいろいろな話が聞ける。といっても彼の話すのは四川の方言で、私たちの知っている普通話ではない。時々わからなくなる。「ウーメイシャン」の発音もここでは「オーメイサン」になる。普段中国語独特の発音に泣かされている私には、そういった発音がない四川訛りの方が合っているようだ。

 食事後、町に出てみた。観光客相手の食堂やお土産物屋が多い。しかしついに日本人に会わなかった。奇跡的だ。しかしここにも「日本式  OK」という看板は見つけた。カラオケはこの峨眉山にも進出したのだ。山本さんがお土産屋さんで買物をしていた。売店のおばあさんは私たち外国人が持つ「兌換券」をはじめて見たらしく、最初お金だと言っても信用してくれず、かといって言葉もあまり通じず、困ってしまった。そこへ可愛らしい少女が3人通りがかり、おばあさんに説明してくれた。ようやくおばあさんは納得して笑顔を見せた。


天下の名山・峨眉山  

 翌朝、いよいよ峨眉山に向かう。運転手は成都からの李さんに代わり山道に慣れた地元の人になった。車もジープに乗り換える。

峨眉山を登る道は舗装されていない。カーブミラーもなければガードレールもない。そこをかなりのスピードで走る。代わった運転手は陽気で話好きだった。謝さんとひっきりなしに話をする。なにせ片方は土砂崩れがいつ起こっても不思議でない岩肌。片方は深い谷だ。お願いだから前を向いてしゃべってよという気になる。そしてひっきりなしにクラクションを鳴らす。ずいぶん賑やかな峨眉山登山となった。本当に昔ここで仙人の修業をしたのだろうか。荒っぽい運転をするが、ルームミラーには毛沢東の写真が掛けられている。これをもっていた人がたまたま交通事故にあい、無事だったことから、交通安全の御守として中国で大流行とか。しばらくいくと、道に人が集まっているところに出くわした。運転手が言う。「昨日ここでトラックが川に落ちて3人死んだ。俺はその後ろを走っていた」。思わず苦笑い。毛沢東の御守りがなかったのだろうか。

 8合目あたりの広場に着いた。ここから藍車(ロープウェイ)に乗るのだという。峨眉山に車で8号目まで行け、その先はロープウェイでいくなどとは思ってもみなかった。ガイドブックには途中の寺に泊りながら何日もかけて登ると紹介されていた。だからあくまでも「聖なる山」だと思っていたのだ。話によるとロープウェイができて簡単に頂上へ行けるようになったのは最近だそうだ。もうそこは針葉樹がみられ、下とは全く違う温度だった。

 乗り場では長蛇の列ができていたが、外国人ということで特別に優先的にロープウェーにのせてもらった。中国では高い「外国人料金」を払う見返りからか時にこのようなこともある。しかしさすがに辛抱強く待っている人たちに悪い。

ロープウェイで険しい山を一気に駆け登る。降りるとさすがに寒く、もってきたパーカーをはおった。ここでは人民軍の綿入れを防寒用に貸し出している。だから、人民軍の迷彩色のコートをはおっている人が多い。そこから頂上まではすぐ。

「あ、猿がいる」と指を指したが早いか、子猿が私の肩に飛び乗った。もう一匹が頭に乗る。なんだ、なんだ、と一瞬状況がわからなかった。子猿たちは首輪でつながれていて、ムチを持った男がなにやらはやしたてている。そして「2元だ。2元」とお金を請求してくるではないか。どうやら子猿を調教し、観光客と一緒に写真を撮らせお金をとるという商売らしい。よくみると頂上のあちこちで店開きをしている。

 男は何度も金を請求したが、私がよくわからない、というふりをすると、あきらめた様子で相棒の男に「こいつは中国語がわからないらしい」と話していた。それが理解できただけに少し後ろめたくなる。

 しかし、そんな商売だけではない。驚いたのは観光客相手の商売のしたたかさ。まず猿回しだ。調教と言ってもかなり荒っぽいもので、猿たちは鞭でたたかれ、おそるおそる観光客の肩にのる。日本の猿回しが動物虐待と海外で騒がれたが、動物愛護団体がこれを見たら卒倒しそう。お土産物屋ももちろんある。さらにカメラを持った写真屋さんがいたるところにいて、「どうですか?」と寄ってくる。観光記念写真を撮る観光客よりこうした業者の方が多いのでは、と思えるほどだ。

 お土産物屋さんを見ていると、近くで歓声が起こった。みんなが駆けだす。何だろう?と思って私も走る。見るとそれは、ハングライダーの滑降だった。緑一色の麓の景色のなかにピンク色のハングライダーが舞っていた。峨眉山の名物と言えば「仏光」といわれる現象。滅多に見られない仏光の代わりに私たちはハングライダーを見た。やはり中国は峨眉山と言えども変わっているのだ。

頂上から下界の景色を楽しむ。山々だけでなく、麓も緑色。本当に緑しかない。仏光はみえないが、ガスがかかることが多い峨眉山から麓がみられるだけで運がいいそうだ。

 頂上には寺があった。現地の人のやり方を真似て叩頭しながら仏像にお参りをした。日本の寺と違い、主に赤と黄色を基調とした建物でカラフルだ。ここは「4大仏教の山」です。宿泊施設を建設中なのか、運ばれてきた煉瓦をせっせと積み上げている。よく見ると働いているのは若い女性だった。

 ロープウェイの乗り場に戻ると、誰もいない広場で店開きをしていた例の男が猿を一生懸命調教していた。それにしても、猿をだしに稼ごうなんて、なんて安直な。猿の丸い背中が寂しげだった。集合場所になったところで待っていると、「どけ、どけ」と顔を真っ赤にした男がいた。背負った篭には石がたくさん入っていた。気がつかなかったが、私の傍らに秤があったのだ。男はその秤に篭を下ろした。どこからか別の男が現われて、秤を量る。何回かやり取りのあった後、ポケットから何枚かくしゃくしゃになったお札を取り出して運んだきた男に渡していた。男はまた急な山道を下っていく。頂上の建築物はみなこうして人の力で運ばれてきたもので作られているのだ。

  全員集合して降りることになった。山本さんが興奮しながら、

「トイレ、行きました?あの、噂の空中トイレって本当ですね。トイレの下が谷なんですよ。その空間に向かって用を足したら、全部気流で瞬時になくなってしまいました」。

 記念にいっておけばよかった。

行きと同じように並ぶ人をワープして私たちだけまずロープウエイに乗り込む。それから彼らが乗り込むのだが、その様子は死闘という言葉がぴったり。すでに人数で切られているので乗れないことはありえないのに、ドアが開いた途端、われさきにロープウエイに乗り込む。老若男女問わず一斉に駆けだすので、中には転んでしまうお婆さんもいた。しかし、ひるむことなく立ち上がりまた駆けだしていく。お婆さんとはいえタフなのだ。なんとか自分の好位置を確保しようということなのだろう。こうして大騒ぎで乗り込んで、ロープウエイが動きだしても中は賑やか。行きもそうだったが、なぜか吐いてしまう人がいて大騒ぎだった。ロープウエイを下りると、係員のおネエさんが慣れた様子でモップで車内を掃除した。

 再びジープに乗り、下山。相変らず話し好きの運転手だ。ホテルで昼食。冬瓜の料理がさっぱりしていておいしかった。昨日から食事の世話をしてくれた服務員の青年に年齢を聞いた。本当に恥ずかしそうに20歳だ、と答えてくれた。旅行者の勝手な言い分だが、彼にはいつまでもそのままでいてほしい、と願うばかりだ。このホテルは2ツ星だったが、どこかのホテルよりずっと気持ち良く食事ができた。

これから成都へ戻る。今日泊まるのは「どこかのホテル」なのだけれど。


成都の不思議体験

 移動、移動の連続でさすがに疲れ、バスの中でうとうとした。気がつくと、遠くに白い毛沢東の像が見えてきた。成都に戻ってきたのだ。

 バスは錦江飯店の前を通り過ぎ、まっすぐ毛沢東像のたつ中心部のロータリーに向かう。それにしても巨大な像だ。すべて大理石なのだという。一瞬、ソ連や東欧でレーニン像が倒された画像がよぎる。この像はこれからもこの成都の中心部に立ちつづけるのだろうか、とふと思う。

「これから夕食ですが、みなさんあまりおなか、へってないでしょう」と謝さん。確かに食べてから4時間位しか経ってないうえに、ずっとマイクロバスに乗っていただけなので、全く食欲がない。「そこで、その夕食は少しだけ食べて終わりにして、その後、私が四川ならではの料理をみなさんに紹介したいのです」。夏場、成都の人がよく食べる「火鍋(なべ料理)」を食べようというのだ。もちろん私たちに異議はなかった。

 人民公園のなかにあるレストランで夕食をとった。お腹がへっていたら、おいしく感じられただろうが、残念ながら私たちの箸は進まず、料理がテーブルにどんどん重ねられていった。

 

 ホテルから錦江をそった通りをしばらくいくと、謝さんお薦めの店についた。個人経営のお店で、なかなか人気の店だという。店先のテラスに3つほどのテーブルがでている。そのうちの1つのテーブルにすわる。

 コンロにかけられた鍋のなかは不気味な赤茶色の液体だった。唐辛子がたくさん浮いている。

そして運ばれてきたものは・・

私の苦手な鰻だ。どじょうもある。あとはねっこまでついたしめじ。「これをしゃぶしゃぶして食べます」。次々と運ばれてくる具を謝さんが解説してくれる。「これは家鴨の舌、これは豚の胃袋の皮、これは豚の喉」。家鴨の舌は体にも良い漢方というが、とてもリアルな形だ。鰻や泥鰌はまるごとしゃぶしゃぶするそうだ。

 「どうです。おいしいでしょう」。謝さんはむしゃむしゃ食べながら私たちに聞く。みんなあいまいにうなずくばかりだ。「前に日本のお年寄りの夫婦をこの店に連れてきたときも、おいしいと言っていました」。うむ、その老夫婦の心中を察する。どう考えても日本人の口に合う味ではない、と思うのだが。

 店を出たところで謝さんとは別れてホテルにむかった。錦江沿いの道路は街灯もなく、真っくらだ。ふいに2、3人子供たちが現われ、私たちにつきまとった。呪文のような言葉は全く理解できないが、両手を差し出している。どうやら施しを求めているようだ。追い払っても追い払ってもついてくる。私たちはしまいには駆け出してホテルの門をくぐった。軽いショックだった。暗い中でも彼らの痩せ細った様子がわかった。上半身裸で靴もはいていなかった。なにか中国の暗い部分を見た気がしたのだ。


あこがれの武侯伺

(ここから記憶を元に98年に書いています。つまり6年後・・・)

 翌日、待ちに待った成都の市内観光の日だ。飛行機の都合で残念ながら、時間は3時間ほどしかなかった。まず、6時に起きて、錦江沿いを散歩。鳥を鳴かせにくる老人や太極拳、健康ダンスを踊る人など様々。

 杜甫草堂と武侯伺と四川省博物館に行くことになった。杜甫草堂は竹林に囲まれている。竹林へ朝日が射し込み、幻想的な風景だ。実際にはここに住んでいたわけではないというが、雰囲気はずいぶん伝わってくる。

 続いて武侯伺、メインだ。しかし30分ほどしか時間がない。悔しい。正式名を「漢昭烈帝廟」という。つまり、劉備の廟だが、人々が慕っているのはむしろ諸葛孔明。彼のおくり名(忠武侯)にちなんで武侯伺と呼ばれている。

 さて、諸葛孔明の像は「仏像化」していて、ちょっとイメージとは違った。ふっくらしているし、ひげが変なんだもの。だけど、子供と孫に囲まれていて、幸せそう。

 続いて劉備。面白いのは降伏した不肖の後継者・劉禅の像はない。代わりに劉理という、蜀の滅亡を嘆いて自害した孫がまつられている。

 関羽の方はというと、「関帝」の名があるように、皇帝のような扱い。

 さてさて、私の趙雲はというと、・・・・何、このじいさんは?違うぞ、こんなじいさんにするなよ。と、憤慨しつつも記念写真を撮る。

 まあ、それぞれひいきの武将の像と記念写真を撮ったり、あの「出師の表」を読んだり、おみやげ(切り絵)を買ったり、「恵陵」にもお参りして、バタバタと観てきた。

 四川省博物館は土屋先生のたっての希望でいったもの。三国志よりはるか昔、四川には漢民族とは違う、まったく独自の文字文化をもった民族がいたことを知る。なかなか興味深い展示だった。ここはほとんど観光客もなく、ゆっくりと見学ができるので、成都に行くならお勧めだ。

 昼食は私たちの希望で、「陳麻婆豆腐店」へ。ここぞ麻婆豆腐発祥のお店。味もまた格別。辛いがめちゃくちゃおいしい!そのほかの豆腐料理も美味だった。要するに豆腐に味があるのだ。成都に行ったらここは行くべし。忘れられない味に出会える。事実、私たちは帰国後この味にとりつかれ、同じ麻婆豆腐を求めて苦労することになった。


北京の不思議も負けていない

 成都を後に再び北京へ。この飛行機(四川航空)が曲者だった。まず、機体はイリューシン?ソ連製。機内は満席で私たちの席は最後部。なぜか、掃除道具の箒などが置いてある(普段は使わない席なのか?)。席に着き、シートベルトを探すと、片方がない!隣の山本さんの席もない。美人の空中小姐に聞くと、一言「没有!」。おいおい、「没有!」で済むことか?ここで墜落したら間違いなく私たちは死ぬ。だから、飛行機事故が起こるんだ!といってもしようがないか(この航空会社、いつ事故を起こしても不思議じゃない)。

 なんとか無事に北京に戻り、瑠璃廠へいく。おみやげを買い、帰ろうとしたら、ものすごい雹が降ってきた。その後、夕食をキャンセルして前門や王府井にできたばかりのマクドナルドに行く。ここは「歓迎光臨」などと笑顔で迎えてくれる。フロアーも巨大。やや高めだが、家族連れなどで賑わっている。すっかりおなじみマクドナルドの世界、だと思って、トイレに入ったら、やっぱり中国であることを実感した。6つほどあるトイレのうち、3つぐらいはすでに戸が壊れている。みなさん戸を開けっ放しで用を足している。う〜ん。このギャップがすごい。

 夜、私はすごい腹痛で目が覚める。それからほとんどトイレに行きっぱなし。

 あけていよいよ帰国。飛行機は最新のボーイング747!映画は「ターミネーター2」を上映。なかなか快適な空の旅のはずが、私はほとんどトイレとの往復。つらい帰国となった。

 帰国して翌日は腹痛と発熱で倒れる。後で参加メンバーに聞いたら私ほどではないにしろ、それぞれ腹痛に見舞われたらしい。どうも成都でのあの「火鍋」や激辛料理を食べ続けたのが原因だったようだ。だけど楽しい旅行だった。

  


追記

これはたまたま旅行直後に感想をまとめていたフロッピーが最近見つかり、補足した旅行記です。

この旅行記は92年のものです。ですから、情報としては古くなっていますので、ご了承下さい。例えば王府井のマクドナルドは一帯がショッピングセンターになるため、取り壊されました。今では中国のあちこちでマックは見かけます。

 また、文中に四川の火鍋がでてきますが、その後重慶で食べた火鍋はおいしく感じました。その様子は三峡下り編にのせています。たぶん、最初はあまりのインパクトに味わうという余裕がなかったのだと思います。夏は四川の火鍋ですよ。

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