Isidro Nozal vega

ブエルタで突如ブレイクした「癒し系サイクリスト」

オンセ・エロスキ(1999-2003)所属 UCIランキング17位(2003.10.15現在)・・・ちょっと今は後退しています
リバティ・セグロ(2004〜)
1977.10.18 Barakaldo(ビスカヤ)生まれ  
181cm 70kg
2003 ブエルタ・ア・エスパーニャ総合2位 第6、13ステージ優勝
家族:2005年10月ブエルタ終了後結婚予定。カルロスちゃんという弟も。
ニックネーム:グリ Rioseco de Guriezo (カンタブリア)に住んでいるから


出会い  忘れもしません。2002年7月の「ツール・ド・フランス」。ケーブルテレビで毎日ライブ中継が見られるようになり、食い入るようにみていた日々。第4ステージでチームタイムトライアル(TTT)で優勝したのはオンセ・エロスキというスペインのチームだった。表彰が続く中、たまたまステージ裏が映し出され、ぼーっと手持ちぶさたに爪をかむ選手が映ってしまった。誰だよ、と思っていたらその後「マイヨ・ブラン」の表彰を受けたイシドロ・ノサル(Jスカイでは「ノザル」と表記されていてちょっと不満)だった。表彰のときは緊張のあまりにこりともできず、こわばった表情のイシドロちゃんにびっくり。こんなノリのスペイン人もいるんだなあ。
 その後彼は4ステージほどマイヨ・ブランを守って毎日のようにステージにあがったのだけど硬い表情のまま、隣の美女とかわすキスもぎこちなかった。すっかり「かわいー!!」と夢中に。しかし、ピレネーの山岳ステージからすっかり姿を消してしまった。後にオンセのページまでいって調査を開始。だけどじみ〜なアシストということで簡単なデータしかわからず。写真はツール後のチーム写真。笑顔が相変わらずひきつっていた。
 その年のブエルタ・ア・エスパーニャは残念なことにイシドロちゃんはエントリーせず。
 そして2003年。再び「ツール・ド・フランス」に登場。しかし、TTTでUSPに及ばなかったこともあり、前年ほどイシドロちゃんを見ることができず。このままか、と思われた矢先、エースのベロキ親分が落車でリタイア。エースを失ったオンセは、ステージごとにひっかきまわすしかなくなった。アルプスを下った直後の平坦ステージで逃げの集団につき、一度は先頭にたったイシドロちゃん。「もしや」と思わせるものの、3位に。
 そして、迎えた2003年の「ブエルタ・ア・エスパーニャ」。イシドロちゃんは大化けするのであった・・・2度目のTTにも勝ったとき、サイス監督に抱きつき、本当に「えーん、えーん」という感じで泣いていた。


オロにもっとも近づいた日 わずか28秒。イシドロちゃんのオロは届かなかった。それはブエルタの最後の山場、山岳のTTだった。イシドロちゃんは2位エラスに対し、1分55秒のアドバンテージでこの日を迎えた。いくらエラスが山岳得意でイシドロちゃんが苦手でもわずか11キロ、30分足らずのコースで2分ものタイムを縮めるのは難しい、というのがおおかたの予想だったのだけど。イシドロちゃんは予想以上に疲れていた。なにせ途中は黄金ジャージを着ながらエースのイゴールをアシストし、先頭を走っていたイシドロちゃん。後ろに下がって水を受け取りにいったり・・・アシストに徹していたのだ。あのアシストによるタイムロスがなければ・・・もしかしたらギリギリ乗り切れたかもしれない。なにより沿道の熱い声援もうれしかった。道にも「NOZAL」って書いてもらえるようになったんだ。
 だけどイシドロちゃんは負けてもさわやか、淡々としていた。「だって僕はもともとアシストなんだもん」って顔をして、エラスに偉そうに肩をまわして(普通反対だろっ!)なんか言っていた。エラスはエラスでイシドロちゃんをたたえ、励ますコメントをしていて爽やかだった。
 最後の表彰台。国旗掲揚のときに下を向いて頭をかいちゃうイシドロちゃん。ひとりだけプレゼントでもらったぬいぐるみを後ろ向きに置いて記念撮影してしまうイシドロちゃん。(左)


今オロまでどんなもん? はっきりいえば、2003年のブエルタはベロキ親分がケガでリハビリ中、第2のエース、イゴール・ゴンサレス・ディ・ガルディアーノより調子がよかった、ということもあって「途中から」エース格にしてもらえた。総合トップに立った日は、地元カンタブリアを走る日だった、という作用も働いた。加えて2回のTTでは「黄金パワー」で誰もが驚くタイムを出せた(平坦の方が得意だしアシストをしなくてすむ分、TTは思い切り勝負できる)。苦手な山岳はチームのアシストのおかげでなんとかこなしていった。
 客観的にみれば総合的にはまだまだエースにはほど遠い。黄金のジャージはまずエースの座を不動にしてから狙うのが王道でしょう。そうすれば黄金ジャージを着ながら風よけのために先頭を走ったり、みんなにボトルを配る、なんてこともしなくてすむ。TTをさらに武器にできるように走りの技術を磨くこと(まだまだコーナリングなど危なっかしい)、なにより山岳でもう少し強くなることがオロへの道につながると思う。まだまだ26歳。自転車の世界では若手だ。「べんがっーっつ!」のサイス監督のもとでまだまだ修行じゃ。
 ブエルタの直後、スペイン代表としてエントリーした2003年世界選手権でのTTでは5位になった。しかしその後の3つの大会ではへーへーぼんぼんな「いつものイシドロちゃん」の成績に終わっている。
 ところでっ!2004年のブエルタはイシドロちゃんのホームタウンはコースに入らず。ツールでも山岳TTがあるらしい。2003年のブエルタはあまり視聴率がとれなかったらしい。イシドロちゃんが地味だから・・・しゅん。

 新チームはリバティ・セグロという保険会社がスポンサーになります。ベロキ親分はフランスのチームに行ってしまいました。じゃ、エースは誰?・・と書いていたらぬあんと、ロベルト・エラス(最後の最後でイシドロちゃんを抜いてブエルタで優勝した)が加入。
そのお披露目でやっぱりやってしまった。

隣のエラス新親分が気になるのか、チーム全員が正面向いて決めている写真で思い切り横向いています。せっかく「顔」の一人として前に出してもらったのに・・・ま、そんなところがいいんですけどね。早くブルーのヘルセイが似合うようになってほしいですね。エラスは同じようなジャージだったUSPS時代から変わらない感じ・・・




公式サイトのインタビューでは「ブエルタで闘ったエラスが『あなたの頭越しに』来ることになったことをどう思う?」っていう質問に対して「友だちが来たと思っているよ」あそ。「大事なのは自分のコンディションを整えること。ツールとブエルタ、どっちが優先かだって?チームのためにも、僕のためにも両方大事だよ!」と、大人のコメントをほざいています。

2004年ツール、イシドロちゃんに会いに行きましたが、ほんの一瞬の遭遇で終了。こちらに詳細


燃え燃えfoto 「2003年ブエルタ日記」

どうしよう・・・総合1位になっちゃったよ。(顔、こわばる)

やばいよ、また勝っちゃったよ。イゴール兄ぃの上いっちゃっているよ〜(顔、ひきつる)
あ、重い。おっこちそう。

それでもまっすぐ高くあげないと気が済まないらしい。

重量挙げかい?

タイムトライアルでぶっちぎり!本人もびっくり。

えーん。かんとく〜。えーん。タイムトライアルで優勝しちゃたよ。

ちょっと様になってきた?


ああ、黄金ジャージずっと着てたい。


おらおら〜イシドロ、もっとがんばらんかい(後ろイゴール)
すみません。ボクがエースなんて、ひ、百年早いっす。

耐えたかいあり今日もジャージを守りました。はずかしーい。だけどうれしーい。

ひいい。ちぎれる〜(イシドロちゃん)
おらおら〜登るんじゃあ!(イゴール兄ぃ)

びっくり、って周りにいわれるけどボクが一番びっくりしているんだよ!

こんなポーズまで要求されるようになりました。えへへ


また落としそうになりました。でもちょっと余裕がでてきました。

美女に毎日キスされる日々。やっぱり表彰台っていいね!


2003年はぼくにとって忘れられない、すばらしいシーズンになりました。(公式サイトでのコメント)


 

E-mailはこちらです  

このページは「蓬莱賓館」というサイトの一部です。直接このページにきた方はこちらから脱出してください。
ノーマルな?ヨーロッパ旅行記こちらから
結構ディープな中国旅行記こちらから


掲示板あります。
中国ネタばかりですが、サッカー&自転車ネタも歓迎します。