年画の産地、河北省武強県を訪ねる

29日(武強・曇り、霧)

う〜ん。今日は寒い。まっさきに年画博物館に向かう。昨日会った館長をはじめとした職員のみなさんが迎えてくれる。館内の説明をしてくれたのは、陳賀芝さん。とても美人で、「寒いね!といいながら、熱心に説明をしてくれる。もちろん、説明は中国語(傳さんは館長とずっとお話をしていた)。たぶん、実際の絵を前にしての説明だったのと、傳さんに買っていった日本語の年画の本を予め読んでいたので、なんとかおおまかな意味は理解することができた。それぞれの家を再現し、どこにどのような年画が貼られていたかを展示するなど、いろいろ趣向を凝らしている

 そのあと、博物館に隣接する年画社で馬習欽さんによる実際の製作の様子を見学、別に年画も購入する商店もある。

<武強と武強年画博物館>

 武強年画は明代にはじまり、清の乾隆帝のころもっとも栄えた。当時は町の南部に140件のお店があり、50にのぼる村がその生産を行ない、一大生産地を形成していた。その生産量は1億枚にもなり、中国全体の半分以上にあたっていた。

 全国の年画生産地にはそれぞれに特徴があるが、武強のそれは、明るい色彩、細い線にある。また過去の戦争時には勇ましい内容のものも作られるなど、題材は豊富である。描かれる人間も三頭身から五頭身と頭が大きいのも特徴である。(作品1をごらんください)

 他の産地と同じく、武強の年画も残念ながら文化大革命で打撃を受けたが、80年代に入り、次第に復興してきた。伝統的な民間版画を守り、さらに発展させるため、河北省文物局によって1985年、「武強年画博物館」が設立された。他にも例をみない、ユニークな博物館である。

 2万5000mという敷地をもつ博物館には古くからの珍しい年画が数多く展示されている。また、年画という貴重な芸術の保護と振興活動も行っている。

(日本では、雑誌「しにか」にも紹介された)

武強は北京から南へ約250Kmの場所にあり、個人で行くには大変不便なところにあります。だけど、行ってみるだけの価値はあります。興味を持った方はお気軽に傳さんにメールでお問い合わせ下さい。お問い合わせ先はこちらです

 

 

館長さんが私たちを「請客」してくれるという。近くのレストランで宴席が設けられた。館長さんや馬さん、陳さん、宋さんら博物館のみなさんとともに卓を囲む。

 出てくる料理は、どれもよく口にあって美味しい。ここでも「抜絲」が登場。他に「汽鍋鶏腿」(コラム参照)

 みんなはお酒が強そうだ。出てきたお酒は地元の衡水というところで作られる白酒で、アルコール度数は39%!「干杯」をするたびにお酒を飲み干す。傳さんは車の運転を理由にあまり飲まない。かわりに私がおつきあいする。ふ〜う。

 午後はぜひ近くに住む表装家の家に連れていきたいという。近く、ということだったが、途中、舗装されていない農道にはいる。村の部落に入ると、ものすごい道になる。ジープだから入ってこられるのだろう。この珍しい訪問者に、村の人はみんな不思議そうな顔をして見送る。やがて一軒の農家の前に停まる。中に入ると呉さんという、おじさんがいる。彼は表装や書道家でもある。文革の時も隠し持っていたという古い年画を見せていただく。その中に博物館で見たのと同じ、三国志の京劇についての年画があった。見ていると欲しくなる。「これを売ってもらえませんか?」と聞くと、「これは値段が付けられないもの。そんなに欲しいのなら、あげます」。きゃ〜。(気持ちは「狂喜乱舞」状態)。結局その貴重な年画を4枚もいただいた。これはお金では手に入れることができない、わたしにとってなによりもうれしいおみやげとなった。それに加え、この呉さんの家は映画などでみた、典型的な農家のつくり。こうしたところへ訪問できたのも思い出となる。珍しい思いをしていたのは私だけではなく、周りの人も同じだったようで、いつの間にか近所のおじさんが何人かやってきては賑やかなおしゃべりが始まる。そんなに日本人が珍しいのかな?

 呉さんは最後に行われた科挙に「状元=首席」で合格した河北出身の官僚の書いた字典をお手本として使っている。その本を見せてもらったが(この人の話は浅田次郎の「蒼穹の昴」で読んでいたので)、なんだか歴史が身近に生きているのだと感慨もひとしお。「なんでも鑑定団」が来たらざくざくお宝が出てきそうだ。そんな家がこの辺鄙な田舎にあるのだ。

 貴重な経験をして(おまけにうれしいものを手に入れ)、再び武強に戻る。館長に武強県は人口何万人か聞くと、21万人だという。十分大きい気がするが、実は河北省の中でも最も小さな県なのだという。

 傳さんは「武強のような、内陸部にある農業中心の町は貧しい。その生活を少しでも向上させるため、もう一度武強で年画を中心とした産業を振興させたい、と館長と話あっている」のだという。だから、日本の人にこの年画をもっと紹介したい、という思いが強いようだ。その夢がなんとか実現すればいいな、と思う。その二人の情熱、呉さんのご厚意にわずかながらでも応えられれば、と思う。

 博物館のみんなに見送られて武強を後にする。寒さは厳しいがなんだか、心が少し温かくなるような滞在だった。みんないい人だった。

 次に目指すのは景県。武強からそれほど遠くなく、1時間ほどで到着。ここには仏塔がある。景州賓館に到着。ここも昨日と同じぐらいの規模のホテル。人民政府の経営らしい。そのせいか、あまりサービスがよくない。通された部屋はベッドなどはきれいに片づけられているが、バスルームがいただけない。浴槽は洗っていないようだし、トイレもあまりきれいでない。タオルはぞうきんのようなボロボロタオルが1枚。やっぱり大きめのタオルを1枚持ってきてよかった(注:耐えられないほどではありません。他の2つのホテルと比較した場合)。

 実は昼食をたくさん食べたため、お腹が減っていない。傳さんに「方便面」(インスタントラーメン)やパンなどをもらい、部屋で適当に食べる。飲み物はさんざしのジュース。なんともいえない複雑な味だ。

 テレビでドラマやセリエAの生中継、「牧馬人」の映画も見て、1時ごろ就寝。

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