北京の一般家庭で餃子を作り、食べる

 

11/27日 (東京・曇り)

UA 853で一路、北京へ。食事の飲み物は白のシャブリを頼む。私の隣には中国人の3人連れ。スチュワーデスの英語「wine」がわからないようなので、中国語で「葡萄酒だ」と教える。そしたら何本かお代わりをしていた。スチュワーデスは私も中国人だと思ったのか、以降中国語で話しかけられる。彼らはマナーがあまりよくなく、ちょっと迷惑。21:50着。

予定時刻どおり北京首都国際空港に到着。出迎えの人の群の中で傳さんを探すがなかなか見つからず、ちょっと不安になる。ウロウロしていると、「岩田さんですか?」と話しかけられる。傳さんだ!ほっとする瞬間。外はやはり寒い。一週間前には雪が降ったとかでまだ雪が残っている。傳さんは普段は自分のワゴン車に乗っているそうだが、今回の旅行のために友人からジープを借りたそうだ。自分の車ではないので、まだ少し慣れていないという。(しかし、後にこのジープの恩恵を感じることになる)

北京市内に向かう。といっても昨年きたばかりなので、また来たな、というぐらいの感慨しかない。途中の車内で傳さんといろいろ話をする。メールのやりとりだけだったので、あまり傳さんについて知らなかったのだが、聞けば93年から95年まで川口に住んでいたそうだ。

市内の西にある、阜成門外にある「京濱飯店」に到着。ここは傳さんの自宅からも近いらしい。200元と300元の部屋があるそうだが、200元の部屋は満室。300元の部屋へ。ここの利用客はほどんど中国人のようで、英語を話す服務員もあまりいないようだ。例によってパスポートにある名前の「はるみ」の漢字はないのかといわれる。ひらがなだからない、といってもわからないのだ。だからこんなとき「晏実」という名前が便利になる。

11階にある部屋はスタンダードな、清潔感がある部屋。「歩き方」にも載っていなかったのでどんなホテルかと不安だったが、安心する。去年泊まったホテルは安くしてもらって1000元ぐらいだった、というと傳さんは驚いていた。

近くの24時間営業という、ファーストフード風レストラン(台湾資本)で軽く食事。「豆奨」はいわゆる大豆から絞った豆乳。日本のものより大豆の味が濃厚で、豆腐っぽい味がする。一つの碗に400ccも入っている(2〜8元)。ホテルに戻るとすでに12時。


28日(北京・曇り)

待ち合わせの7時にロビーに降りたが傳さん現れず。じっと待つこと30分。室内とはいえ、玄関に近いので寒い。たまらず、フロントにある電話を借り、傳さんの自宅に電話する。「Wei?」眠そうな声がする。どうやら寝ていたらしい。30分ほどで行くから、と言われ再び部屋に戻り待つ。8時ごろ傳さんから電話がかかる。昨日は興奮してなかなか寝付けなかったそうだ。

市内中心部を通り抜け、東南にある「土日市場」にいく。フリーマーケットだが、規模も大きく、玉石混淆、いろいろなものが売られている(石の方が多いかな?)。欧米の観光客らしき人たちもちらほらいるが、日本人はいない。

10時をまわったところでその通りを隔てた隣にある、アパートに住んでいる関さんという人のところへ行く。関さんは傳さんの友人で大のカメラマニア。何台かカメラが飾ってあって、今日も「土日市場」でカメラを2台手に入れたそう。倒産してしまった国内カメラメーカーのもので、これからは手に入らない、と言っていた。関さんは3人家族で、息子さんは現在大学の寮に入っているので、奥さんと二人ぐらし。日本風にいえば1DKのアパートは平均的な北京の家庭なのだろう。関さんは、長年勤めていた国営企業をレイオフされ、最近ようやく再就職先が見つかったのだという。この点でも典型的な都会に住む中国人の状況を反映しているようだ。もちろん奥さんと共働きだ。

 いろいろ話し込むうちに奥さんが帰宅。賑やかに餃子づくりの準備にとりかかる。私は以前、孫先生のお宅でやはり餃子づくりをしたことがある。その後自分で作ってみたが、なかなかうまくできなかった。孫先生のお宅でもそうだったが、こちらの人は本当に手際よく皮をのばし餃子の具を包んでいく。奥さんの指導を受けながら私も包む。だけど関さんが包んだものと明らかに違う。経験の違いがはっきりでてしまう。みんなで作り、それをゆでると大好きな、あのもちもちした水餃子ができあがる。「好吃!」美味しい、と言うと、「好吃、多吃」(たくさん食べてね)、と言われる。お言葉に甘えどんどん食べ、おなか一杯に。

 食事中の話題は「日本で例えば自民党などの党員になるとどんな活動をするのか」。これにはどう答えるか困ってしまった。中国の党員活動とは全く違うことをわかってもらうには私の中国語はあまりにも拙い。他に、若者のこと、経済のこと、そして出版業界のこと。関夫婦は大の読書好き。どうして日本の本は高いのか、という質問に答えるために一生懸命、日本の出版の仕組みを話す。確かに私が今回傳さんに買っていった日本の年画に関する専門書は中国元にすれば200元。これじゃ高いよ、と思われるのも当然だ。それにしても語彙がないので、説明は難しい。傳さんに日本語で伝え、訳してもらう。

 先日の雪が降ったという時に撮ったという写真を見せてもらう。雪景色を撮った、といよりすべて奥さんを写したもので、バックが雪景色という方が正しいようだ。

 お礼としてちりめんで作った小さなポーチと、冬の必需品、使い捨てカイロを贈る。

 「慢走、慢走」(気をつけて)の言葉に送られて、武強へ出発。いよいよ河北を巡る旅が始まる。

 しばらく走り、北京市街地を抜けると景色が全く変わる。はてしなく広がる田園の中、道がまっすぐに延びていく。「今日は曇りだからあたりがみえないけど、晴れている日に走ると気持ちがいい」という傳さん。

 ところで、道がよくなったのと引き替えに増えているのが「料金所」。武強に行く250kmの間に4カ所あった。突然途中に料金所が設けられ、お金を取られるようになることが多いのだという(だいたい5元が相場)。ただし、地元の車、トラクターなどは無料だ。農村を走るとトラクターや三輪トラックが増えてくる。北京の車を示す「京ナンバー」はほとんど見かけなくなる。トラックや長距離バスは例外なく荷物を満載していて、荷崩れをしたら大事故になりそうな車ばかりだ。そんな車を、どんどん追い抜いて(これがこちらでの一般的な走行法のよう。時には二重追い越しもあり)、ひた走る。途中でお葬式の葬列が横断したり、花嫁を乗せた結婚式帰りのハデハデ車が通るなど、飽きない。とはいえ、単調な光景が続くと居眠りをしてしまう。夕方になって霧がでてくると、うっすらとでている太陽とあたりの田園風景がとても幻想的に見える。まるでモネの「印象・日の出」という感じだ。

 しかし、250kmはやはり遠い。途中たくさんの町を通過したが、どれも知らないところばかり。たまに「石家庄行き」や「保定行き」の長距離バスをみかける。武強はどんなところなんだ?

 6時すぎ、ようやく武強県に入る。目指すのは武強賓館。一人70元、と聞いていたのでどんなホテルかやはり不安だったが、なんだか立派な田舎のホテル風でまたまた安心。

 通された部屋は思ったよりも新しく、快適な感じ。お湯は夜8時から2時間だけ使える。その前に食事を、というのでホテルにあるレストランに入る。他には2組しかいない。傳さんにメニューはおまかせ。その中で面白かったのは「抜絲土豆」土豆はジャガイモ。抜絲は食べ方が面白い。(コラム参照)

 食事をしていると見知らぬおじさんが近づいてくる。明日行く予定の年画博物館館長の郭書栄さんだった。傳さんから連絡を受け、今日来るのだと思い、みんなで待っていたそうだ。来ないので宿泊を予定していたホテルまで来てみたようだ。明日は8時半に行く、と伝える。

 食事を終えると8時。それぞれの部屋に戻る。実は傳さん、自分の部屋に入るなり寝てしまったそうだ。

 私のほうも、テレビが付かないので(いろいろ試してみたが断念)、ゆっくりお風呂に入り、早めに就寝。ちなみにホテルの感じは、三峡下りの時に行ったほき市のホテルのような感じ。

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