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検査〜告知

●なんとなく、人間ドックへ
 
 シーズンオフ。熱狂のレアル・マドリード東京公演(あ、試合でしたかね?)も終わり、とっくに中年と言われる年齢になっている私は思った。
 「ここらで人間ドック行くか」
人間ドックといっても、半日の簡易なものだけど、市が補助を出してくれるので本人負担は5000円のみ。これまでも受けようかな・・と思いつつ、なんとなく行きそびれていた(ここが自営業の泣き所)。とりたてて不調なことはないけど、あえていえばいつも下痢気味なのが気になる。
 指定医療機関のどこがいいか、ネットであれこれ調べて、インフォームド・コンセントが丁寧で胃腸科の評判がいい、というK外科で受けることにした。電話をすればお盆も休むことなくドックも受け付けると言うことで8月13日に予約した。

 当日何より初体験の胃のレントゲン検査のことで頭が一杯。だけど思ったほど辛くなく、「なんだこんなものか」程度。胃はきれいだよ」といわれ一安心。ただし便潜血が+、ということがわかった。(まあ、それも含めて悪いんだったらこの医者に通えばいいんだから)。とにかく検査結果は一週間ほどで出るらしい。バリウム飲むとそれを出すのにみんな苦労するらしいけど、もともと下痢な私はもらった下剤を使うことなく水をたくさん飲んでいるうちすんなり排出できた。
 帰省中に「あるある大辞典」で便秘と下痢の対処法をやっていて、下痢のところは参考になりそうだったので、自宅に戻って「プチ断食」をやってみる。これで腸がきれいになって下痢解消か?なんて期待しながら。
 土曜日の午前中、家でだれだれしていたらK外科から電話。「検査の結果がでていますので、聞きに来てください」丁寧だな。それともどっか悪いところがあるから早めにこい、ということなのかな。
 夕方、いつも行っているM治療院で先生が「最近、お腹の周りにストレスがずっとでているんだよね」と言われる。うーん。前も同じことをいわれたけど、少しお腹が膨れた感じぐらいかな?

●一転、シリアスな展開に
 月曜日、結果はできれば空いている午後に聞きに来てくださいといわれていたので、炎天下K外科へ。K先生からドックの結果をすべて説明してもらう。「どこも異常はありません。問題はここですね」と、唯一の問題点「便潜血+」。「出産はしていないんだよね。でも若い人に出血が見られるっていったら痔かな?」実は思い当たる自覚症状あり。下痢がひどいときなど血が混じることを告げる。どんな状態なのか、いろいろな潜血便の写真を見せられ聞かれる。うーん、すこし線上についていたり、粘膜みたいなねばねばした感じだったり、かな。「だったらちょっと見てみようか」こうなったらしょうがない。覚悟を決めて別室へ。看護婦さんに姿勢を指示され、ベッドで「エビ」になる。うーん情けない。これが触診というヤツね・・・呼吸をはっはっは〜しながらぼんやり考える。
 しばらく待って再び診察室へ。
 通されると、明らかに先ほどとは違う、K先生の深刻な顔。「Iさん、ご家族はいるの?」え?いきなりなんでこんなことを聞かれるんだろう、と一瞬ひるむ。「一人暮らしですけど」「ご両親とかはどこに?」「母は亡くなって、父が岐阜にいます」・・私としては「やっぱり痔があるみたいですね。治療しましょう」なんていわれるんだろうと予想していた。「えへへ。やっぱりそうですか。ちょっと恥ずかしくて医者に行けなかったんです」なんて言おうと思っていた。
見てみましたが、『できもの』があります。手術、入院してもらうことになるかもしれません。」えええ?「できもの」?手術?痔でいきなり手術ってことはないだろうから、それって、えええ?
 先生は信頼できる医師がいる病院を紹介するという。同じ市にある「国立病院」か隣の市の「A総合病院」。岐阜の病院でも紹介状書きます、とのこと。
頭が少々パニックだけど、先生の深刻な表情から言って冗談ではないみたい。「他にどこか希望はありますか?」
 私は「通院」を前提に考え仕事にも便利な都内、飯田橋あたりがいいと言う。
「飯田橋だと逓信病院などがありますね。紹介状は書きますが、直接の知り合いはいないんですよ。大きな病院で待たされたりさせたくないんです。自分としては患者さんは大事だからそんな目にあわせたくない。家族だったらどこに入院させるかを考えたとき、信頼できる医師にまかせたい。二つの病院の医師は実績もあるし、技術も人格も私が保障します」
 冷静になって、岐阜は父が一人暮らし、おまけに闘病中でもあるのであまり負担はかけたくない。家族がいなくても友人・知人がいるこちらでなんとか受けたい。だったら前に交通事故に遭って救急車に乗ったときに連れて行かれたA総合病院だろうか。
「わかりました。早い方がいいので、明日行ってください」なんと!そんなに急を要するのか。いよいよ深刻なカンジ・・・
「仕事の都合もあるので、明後日でいいでしょうか?」
「明日とにかく先方に私からも電話をしてよく事情を説明しておきますから、朝行く前にここに寄って紹介状を取りに来てください。向こうで検査があると思うので、前の夜9時以降は食事を控えてください・・・この病気はちゃんと治る病気ですから心配しないように」
と言われても十分心配しちゃう突然の宣告だった。
 いろいろ考えながら家に戻る。あのカンジだと・・もしかしたら、私は大腸ガン?まさか!初めて大腸にある病気を調べるためにインターネットで検索し、「大腸.com」などを読む。良性なら内視鏡で取れるんだ・・など少しお勉強。
 それよりその検査では「内視鏡検査」というものがあって、そうとうツライらしい。気分はぶるーぶるー、真っ青だ。明日の絶食を待つまでもなく十分食欲不振に・・・
 実は9月から新しく仕事をすることになっていて打ち合わせが入っていたけど、この分だと延ばした方がよさそう。親しい友人にこの状況を報告。大学の先輩キルケさんは豊富な医療知識で少し私のパニックを救ってくれた。しかしいろいろ考えると、全然眠れなかった。
 翌日、仕事先の人の一部に明日内視鏡検査受けることを話した。「でもさ、それで腸の中の宿便が取れるんでしょう?エステになると思えばいいじゃん」あ、そっか、と思う私も単純。

●(泣)の内視鏡検査&Mいんちょー(末広亭)との出会い

 いよいよ当日。
 あまり眠れないまま朝がきて、K外科へ。紹介してもらうM医師というのはAの院長らしい。先生がもう一度先方に電話をかけたが、回診中で直接本人にはつながらず。くれぐれもよろしく、と伝言してくれた。
「何か不安なことがあったら遠慮なく相談してください。できるだけのサポートはしますので」。温かい言葉がうれしかった。でもやっぱりそんな深刻な状況なのかな?
 電車に乗って5分ほどのA駅へ。私は4年前救急で運ばれてきたことがあったので、そのときの診察券と紹介状などを提出。指示された外科は新装された棟の方にあって、新しく明るい。「ただいま院長は回診中ですので、しばらくお待ちください」の札が掛かっている。一応図書館で借りた「貴門胤裔」という中国の小説の単行本を持ってきたのでそれを読む。不幸にもなかなか入っていけない、ちょっと読みづらい本で、頭に入らず気がつくと単に字面だけを追っている。外科の隣が「内視鏡室」。たぶんここに入ることになるんだろうな〜と思いつつ、そのそばで待っている人たちに思わず目がいく。会話から、3人ほどが腸の内視鏡検査のために中を空にすべく、下剤を飲んでいることが分かる。「もう4回トイレに行った」と回数で張り合っている。どう見ても年輩者ばかりだけど私もじきに仲間入り?
 患者さんと立ち話をしているお医者さんがいて、とても優しそうな感じだった。この人がM院長かなあ。しばーらく待たされてようやく診察が始まった。名前が呼ばれて中に入ると、浅黒い顔のM院長。さっきの先生とは違った。
 「ここではお客さんじゃなくて家族として考える。おまえなら姪っ子ってところだ。かわいい姪っ子に検査だけで1カ月近くかけて、手遅れにさせたくないから、今日は1日で全部検査するからそのつもりでな!CT、MRI、念のため乳ガンの触診とエコー検査、注腸検査して最後はカメラだ」。いきなりのおまえ呼ばわりに(私は男にこういわれるのがかなりいやなのだ)抵抗を覚えたけど、方針には賛同できるような気がする。「手遅れのガンで死なないために」と題されたパンフレットをもらう。ガンかあ。別にガンと決まっている人だけがもらうわけではなく、初診できた人みんなに渡していたみたいだけど。
 まずは心電図とお腹の部分のレントゲン。続いてMRIにCT。エコー室で乳ガンの触診とエコー検査。終わったところでトイレがあったのでついでに行って、外科に戻ると「検尿があるんだけど、もしかしたらトイレ行ってきちゃった?」言ってくれないから行ってきちゃったよ〜。もお。次に血液検査。それが終わると「注腸検査ね」、とあっさり言われる。いよいよ本格的になってきた。再びレントゲン科に行ってまず着替え。お尻に穴が空いた、使い捨てのトランクスをはく。中国の子供のはいている股割れズボンのようだ。造影剤をおしりから入れられ、いろいろまわされながらレントゲンを撮る。お腹が張ってかなり苦しい。でもがんばってがまんしてくださいね、と言われているので必死になって耐える。う〜う。「人間の尊厳とは」、なんて考えながら。ようやく終わってトイレに行き、ついでにさっきできなかった検尿もすませる。なんて模範的なんでしょう、私って。
 名前が呼ばれて、浣腸される。てっきり2リットルもの下剤を飲むもんだと思っていたので意外。すでに造影剤の影響でかなり下りぎみなうえに浣腸かあ。地獄の責め苦だ。5分はがまんするように言われたので、10分耐えてトイレに。
 看護師さんに便の状態を聞かれたけど、私の調べたところでは、たしか透明になるぐらいまでお腹をからっぽにしないと検査しないはず。まだまだな段階だった。ところがしばらくして「じゃあ、中にお入りください」とついに内視鏡室に招かれる。あれ、まだだよな〜と思いながらも着替えをしてください、といわれたので、再び例の穴あきパンツに履き替え。続いて肩に麻酔を打たれる。うう、お腹はまだ緩いんだが、もートイレには行けないってことね。ちょうど朝待っていたおじさんが疲れ切った様子で着替えを終え、出て行くところだった。中はいくつか仕切られていて、その中のひとつから「うっ〜」というかなり苦しげなうめき声が聞こえてくる。できれば逃げたーーーい。
 しかし「こちらへどうぞ」とベッドに連行された。「左を向いて横たわっていてくださいね」。ついにまな板の「エビ」に。見れば目の前にモニターが。しかもデータ欄にはすでに私の名前が入力されている。しばらく待って執行官、もとい担当のお医者様が登場。振り向くと朝見かけた温厚そうな先生だっ。少し気が楽になる。
 「ちょっとお尻にゼリーを塗りますから冷たくなりますよ〜」そしていよいよ黒い管が差し込まれる。空気を同時に送るんだと。モニターが映ったと思ったら、いきなりばかでかい「腫瘍」がっ!軽くショックを受けていると先生が誰かに「水」と指示している。まさか飲むわけではないよね?ってことは?そう、やはり私のお腹の中は完全にはきれいになっていなくて、ところどころ便が溜まっているので(これをモニターで見るのはつらい)、水を入れて洗浄しながら進めようとしているのだ。ただでさえつらいのに、さらに水攻め。中世の拷問みたい。「バキュームカー」のホースでお腹の中を吸い取られている感じ。実際には空気と水を入れているんだけど、出しているのか、入れられているのか感覚はない(麻酔を打ってるので)。とにかくめちゃめちゃ気持ち悪い。「前処理がまずかったので、よけいつらいけど我慢してね」えーん。なんて不幸な初体験だろう。超特大級のつらい時期と少し落ち着く時期が交互にやってくる。つらいのは腸がカーブしている部分らしい。私がいたがるとそのたびに先生が「ごめんね、ごめんね。もうすぐ楽になるから」を繰り返す。「せんせー、もう病気で死んでもいいですから今すぐこれをやめてくださーい」と叫びたくなる。落ち着いていられるところはモニターに目をやる余裕もある。完全にからになっていないので、昨日食べたトマトの皮とかゴマが映し出され、めちゃくちゃ恥ずかしい。私のせいじゃないよ。
「ガス出すと楽になりますからどんどん出していいですよ。恥ずかしくないから」。看護婦さんと二人して「ガスだしのススメ」を言われるんだけど、そうじゃないの。どうやったらガスが出せるかわからないの。もー私のお腹は空気と水で風船みたいになっているんじゃないだろうか。
 「もう少しですからね」といわれたものの、ほんとの終わりはなかなかこない。しばらく悶絶が続いた後、「はい、ここが終点です」。思わずモニターを見る。ということは折り返し地点??その間も仰向けになったり、左向きになったり、何度か体の位置を変えながら(これって「体位」を変えながら、と書くのかな?)苦しむ。「これで最後ですから」ってツライ格好になる。ところが最後、最後と何回か言われ、これが先生の手なんだな、とわかってくる。最後に例の腫瘍のところともう一箇所、内視鏡からちょろりと挟む物がでてきたかと思うと、ぱちん、と切り取っていた。モニターに赤い血がばっと広がる。確かにあの大きさじゃ内視鏡で切除できる範囲ではないね。
 「最後に組織を取りましたから少し出血があると思います」。
「少し休んでいいですよ」と言われる。トイレに行きたいので起きあがろうと最初はしたけど、力が入らずもう一度寝る。まだモニターはつながっていて、看護婦さんが内視鏡を洗っているので、水の泡がぶくぶくとモニターに映っていた。ぼーっと見ながら5分ほど横になっている。
 ようやく起きあがって着替え、トイレに。あ〜天国にいる気分。しばらく放心状態で待っていると、M院長が私を呼んだ。カルテには先ほど撮ったばかりの腫瘍の写真がはさんである。
「あのな、今日なんでオレが1日で検査をしようとしたのかというと、今日取れるモンなら取ってしまおうと思っていて、結果を待っていたんだよ。(写真をみせながら)これな・・・。あと1年早かったらカメラで取れた範囲だけど、時間は戻せないから、言ってもしょうがない。 これだけ大きくなっていたから、詰まって、便も勢いよくださないと出ないから下痢になっていた。このままだと便がでなくなっていたところだ。
 その若さで人工肛門にさせたくないから、なんとかつなげてみたい。正直ギリギリの位置にあるけど、うまくつなげることが今の一番の希望だと思っていて欲しい。とにかく急いで(手術を)やりたい」。思ってもみなかった「人工肛門」という言葉が出てきて(しかも外科の受付のところで立ち話・・・)一瞬クラリ。いよいよショックを受ける。これが、現実だったんだ。
 結局、病理検査の結果は至急でやっても土曜日にしかでないので、月曜日に聞きに来ることに。家族を連れてくるように、とのことだったがいないので「家族以外でもいいですか?」と聞くと「恋人でもいい」そうだ。
 そのあと手術に必要な体力があるかを調べるため心電図と肺活量の検査などをする。いよいよ手術、入院は避けられそうにもない。肺活量の測定ではさきほど言われたことがショックで検査の指示があまり頭に入らず 、やりなおすはめに。

●当然周りもビックリ

 呆然としたまま家に戻り、何人かの人に電話で報告。仕事関係のM氏が「ボクが言ってあげようか?」というのでいったんお願いする。ガンの出版物を出していることもあって、まるきり素人ではないし。その後、名古屋のH夫人と電話。大学から社会人にかけて、4年間一緒に住んでいたので、誰よりも理解してくれる友人。「人工肛門」という言葉に彼女はかなりショックを受け、結局電話口で二人で泣いてしまった。
 夜、「人工肛門」「女性」などのキーワードで闘病記を探してみたら暗い気分に。子宮と膣を取った話まであった。

8月30日 前々から中国映画の上映会に老同学のKさんといくことになっていたので、後楽園へ。あらかじめ言っておきたかったけど、なかなか時間がなかったので、結局その場で病気のことを話す。軽いショックを受けて言葉に詰まるK同学。私たちにはかつて人工肛門だけど、すごく明るくて趣味を楽しんでいたOさんという同学がいた。残念なことにガンが再発して亡くなったのだが、「いま生きていてくれたらいろいろ話をきけたのにね」。気を取り直し、4本の映画を立て続けに堪能。
 9時頃終了してホールをでて、隣の「ラクーア」へ行ってみようということになる。中はなかなか清潔でリラックスできる空間で気に入った。あまり時間がなかったのでざっと全体を探訪して軽く一杯(私はソフトドリンク)。よくなったら絶対また来よう。帰りに生理が始まる。やっぱりリラックスしたからかな。少し早めだけど、これなら「来週火曜か水曜手術」と言われている手術日にピークは過ぎているから、ほっと一安心。
 日曜日はもう一本みたい中国映画があったので、今度は一人で再び後楽園に。いい映画で気は紛れたけど、やっぱり私はどうなるんだろう、と気になって眠れず。

●これって「告知」なの?
9/1 9時に来るように、とのことだったので8時50分にA駅の改札でキルケさんと待ち合わせ。結局女性同士の気安さもあって、キルケさんに同席してもらうことにしたのだ。朝の回診もあって、ようやく名前が呼ばれたのは10時30分すぎ。院長は私たちをみるなり「友人でもいいですか、っていうからどんなかっこいい彼氏を連れてくるのかと思っていたら・・・」。でも心なしかうれしそう。
キルケさんにも例のパンフを渡す。
 結局私は直腸ガンらしい。しかもすでに進行期に入っているとか。ただし進行がゆっくりなのが幸いしたよう。このガンはお年寄りに多く、私のような年齢(一応30代)では珍しいんだとか。この前の内視鏡の写真や腫瘍マーカーなど、すべてのデータをみせながら説明してくれた。
 「で、私としてはできるだけ早く手術したい。なぜならひげは伸びるから」(このひげが伸びる話も持ちネタである)手術は明日、と聞かされる。「先生、今生理なんですけど手術は関係ないですか?」「大丈夫、『整頓して』やりますから。はは」うううう。深刻な告知の場面なのに、オヤジギャグと持ちネタの披露でだんだんわけがわからなくなってきた。30分ほど、病気の説明1割、あとは先生の「落語」が続く。適度に今の政治への批判、医療に対する批判などが盛り込まれる。むむ、らちがあかんと思い「先生、入院はどれくらいかかるんですか?」と私が聞くと、「あ、質問タイムはあとで設けよう。外来の診察がまだあるんで、講義室で待っていてもらって、終わり次第行くから」ほえ。て、いうか「一席」がなければ全然時間はあったと思うんだけど。
 講義室とやらに案内され、2人で待つ。お昼になりお腹がすいたので、キルケさんが下の売店でパンを買ってきてくれたけど、その菓子パンがとてもまずかった。2時過ぎようやくM院長登場。待ちくたびれてこちらはクタクタ。ところが「質問タイム」ではなく、結局気づいてみればM院長、独演会。おまけに得意の「畑」の話がさらにグレードアップ?して「はっっつあん、熊っつあん」の掛け合いに。この人、絶対「末広亭」かなんかに、通い詰めているに違いない。さらに高校はラグビーに明け暮れ、東大理3の試験日もメンバーが足りなかったから試合にでた「武勇伝」などを聞かされる。(せんせー、私の病気の話は??)結局質問するエネルギーも切れてしまった。
 入院のメドは「傷口がふさがるのに2週間、いろんなリハビリに1週間」ということらしい。気になる人工肛門については、一般に必要とされる、肛門からの距離は5センチなのに対して(これは私もネットで調べた)、私は「4センチ」だとか。ギリギリだけどなんとかつなげる方向で考えているとのこと。「セカンド・オピニオンがとりたかったら、どうぞ」ということだったけど、素人目にもでっかい「腫瘍」があるとわかった以上、疑う余地もなさそうなので、すべてM院長にまかせることにした。
 こうして明日の入院・手術が決まる。帰りに腸を空っぽにするための「検査食」セットをもらう。あのまずい菓子パンが「食べ納め」だったとは。わかっていればもう少しまともなものを食べておくんだった。
 帰り道、キルケさんが「結局、執刀医って誰なんだろう」と笑って話す。「あれだけさんざんしゃべっておいて、実は違う人が手術するとしたら笑えますね」なんて二人で大笑い。ちょっと変わった告知だったけど、でもくら〜い顔でやられるよりよかったかも。なんとなくこの先生なら明るい闘病生活が送れるかもしれない。
 帰ると周りへの連絡や入院の用意で結構忙しかった。ネットでいろいろ調べると落ち込んじゃって良くない、とキルケさんに言われたので、そういうのはやめる。心配していた名古屋のH夫人に電話すると、私が意外に明るいので彼女もいつもとかわらないテンションになってくれた。たぶん保険金が出る話をすると「それで世界一周旅行ってのどう?33万円だってよ」「いいね〜」と、二人で脳天気に「とらたぬ」。父にも電話。
 お風呂に入ってお腹をみて思った。明日、もう手術なんだな。お腹にどれくらいキズがつくんだろう?結局人工肛門になっちゃったら?薬が効いてお腹はゴロゴロ、空腹なのもあって、やっぱりまた眠れなかった。

(日付はすべて2003年です)

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